人気ブログランキング | 話題のタグを見る

妄想日記

pandafone.exblog.jp
ブログトップ

  作り手の心と使い手の心

  これは、私が過去に一度ブログを始めて一回きりで挫折したときの唯一の日記。
  (ブログ自体を削除しようにもパスワード他…忘れてしまって削除できずにいる。)

  お蔵入り写真では無いけれど、この日記は私の持論の中でも特に伝えたい事
  だったので再度掲載。IDが違う人間の記事を丸々コピペするのは犯罪だが、
  確かに自分が書いたもので、文面ほか探れば探るほど私が筆者である事は
  明白となるであろうと自信があるので掲載した。

  タイトルも内容も一切の校正なし。



  完璧に満足できる物というのは、なかなか無い。皆無に等しいかもしれない。
  それは生活環境や嗜好、気分など様々な要因に左右される物であるし、
  使い続けている内に変化するからである。しかし、それこそが進化を促している。

  道具にしろ家具にしろ、私達が日々使っている物は全て誰かの手によって
  (または機械によって)作られている事を、どれだけの人が気にしているだろう。
  現在のような量産システムでは作り手の思いを想像してみるなど滑稽かもしれないが、
  少なくとも機械に委ねられる前の段階では人の手や思いは携わっているのである。

  そしてまた使い手にも様々な思いがこもり、様々な扱い方がある。
  金銭価値の高低に関わらず、満足しているモノ・思い出の品・愛着などにより
  長年にわたり大切に扱われる物もあれば、使い捨てのように簡単に破棄される物もある。

  動植物のみならず物にも雲にも石にも紙一枚にも魂が宿るとの信仰は、
  四季があり海に囲まれ、自然に育てられた日本特有のものらしい。

  満足できない以上は自らの手で作るより他無いと私は考える質だが、それでも
  「満足」する事はない。そこに「技術」が追いつかないのだから。

  ささやかながら作り手の気持ちが理解できたからといって何が変わるものでも
  ないが、「作り手に敬意をはらう」という素敵な観念が、日本文化といわれる
  寺社仏閣・様式・着物・和食・畳・和紙・等々・・・使い捨てで終わらない、
  今風に言うなればリペア・レストア・カスタマイズなどが可能な「次に繋がる」文化を
  育ててきたのではなかろうか。

  けれども、経済発展を追い求めてきた日本人(いや、全世界か?)は、
  哀しいかな消費者に迎合ばかりの「商品」を量産するようになってしまっている。
  (人はそれをニーズに合わせていると豪語するだろうけれど・・・)

  売れなければ作り手の持つ「技術」は埋もれる。
  売れる物を作る為には「安価で捨てやすい物」を作らざるを得ない。

  冒頭に書いた「満足できるものは皆無に等しい」
  これを私はプラスの意味で捉えている。
  「満足」といえども「完璧」など無い。
  作り手の思いと使い手の思い、そこに日々の暮らしが接着剤となり満足へと
  繋がってゆくように思うから。

  多数派の意見が世の中を作り、文化を歴史を紡いでゆくのだとしたら・・・
  日本の「文化」が、進化することはあっても退廃しないことをただひたすら祈るのみである。

by mafo-pandakun | 2007-01-27 11:48 | 妄想