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妄想日記

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育てぬものは育たない

『教育』って、なんだろうか?

教師や警官が聖職と呼ばれていたのは最早ずっと昔の事と
なってしまったし、親が親である由縁は肩書きだけのような
世の中になってしまった。

元来、子供にしろ新人社員にしろスポーツ選手にしろ、
育てるのも育つのも『人間』であり、そこにマニュアルなどと
いう代物は不要である。
マニュアルは、育てる側の人間が多数の人間に何かを教える
作業に於いて、手間を省くために考えられた「手抜き技」だ。
それは、決して必要であったからではなく便利だったから
導入されただけであり、必要なのはマニュアルではなく
知恵と洞察力であると私は考えている。

ありきたりな言葉で言うなれば、「心・技・体」であろう。

誰かを育てる=教育というものは、二人称に対する敬意と
尊重を無くしては成り立たない。この二つが無ければ、
それは教育ではなく飼育あるいは調教である。
否、飼育あるいは調教であっても相手を尊重する気持ちが
無ければ成立はしない。飼い殺しといったところか。

誰かが、「昨今の教育者は商売人に成り下がった」的な
発言をしたのを聞いたことがあるが、話にならない。
商売人なら商売人としてのプライドがあるのだから、
尚更お客様に対する敬意と愛情は深い。
まぁ、全ての教育者を一括する気もないが、一握の心ある
教師が職務を全うできない体系と保身が蔓延る政策に
於いては、いまや腐敗も同然である。

親は親で、ご立派な理想と形から入り核心までは到達しない
浅知恵を教育と穿き違え、手取り足取り我が子の筋力を
奪いながら一人で立ち上がる生命力を骨の髄まで搾取して
いるのだから、「我が子の苦悩」に気づかないのも当然である。

私は、仕事において新人研修を担当することが多かったが、
現代日本人の若者のなんと馬鹿なことか。
自分の無知や経験不足を、幾重もの情報という瘡蓋
(かさぶた)で必死に覆い隠すことばかりに御執心。
無知や経験不足が、裏を返せば知らないことを『知り』
理解できる『吸収力を深める』、大きなチャンスであることを
感じないまま育っているのである。

仕事に於ける具体的な技術あるいは知識というものは、
聞く耳と傷を隠そうとする「一所懸命」さがあれば、自ずと
身に付く。しかし、営業なら顧客からの絶対的な信頼、
技術者なら精度をあげたり設計者の意向を再現できる
理解力と研究心、教育者なら対象の本質を見抜く洞察力、
アーティストなら独自の個性を表現できる創造力、など
これらは己の頭で考える力(あるいは己の体で感じる力)が
無い以上は、どう頑張ったところで身に付かないのである。

親が教師が教えるべきものは、

どの道具が使い易いかではなく、道具を作る(あるいは的確な
選択を出来る)考える力であり

どの道が歩きやすいかを指南するのではなく、どんな道でも
進んでいける強さと術であり

何が優れて何が偉いかを教えるのではなく、どんなものにも
命があり、誰にでも感情があって心があり、生きる権利が
同等に与えられていることを感じさせることであり

『全ての物が唯一無二ではあれど、特別な物ではない』

ということではないだろうか。

隠すから見つかるのである。
学習しないから繰り返すのである。
愛さないから愛されないのである。

そういう私は努力しないから痩せないのである。お粗末。
by mafo-pandakun | 2006-09-01 02:17 | 妄想